北海道函館市に住む,教職経験18年目の中学校の美術教師です。このような自分が,意見を述べるなど,おこがましく感じるのですが,思うことを書かせていただきます。
学校教育での図工・美術という教科は,二つの役割を持っています。 一つが,教科としての知識や技術を習得すること,すなわち「教科そのものの学習」です。これは,学校の学習である以上当然のことで,この点は他の教科とも性格は一緒です。 しかし,もう一つの役割が「人間形成に関わる重要な力の育成」です。言葉は固いですが,心の育成と呼んでもいいかもしれません。心が揺り動かされることを「感動」と言います。この精神の活動があることこそが,人間の人間である証拠だと思っています。 しかし,今の私たちを取り巻く状況は,物質的に豊かになり過ぎたため「ものを大切にする心」が失われ,また一人でも生活に困らないような状況に(食べていける・退屈しないなど)より,人と関わる必要性が薄くなってしまったことで「他の人と共感する」という経験を奪われてしまっています。また,映画やドラマなど「強い刺激」の内容に慣れてしまい,日常の中の「淡い幸せ」に鈍感になってしまっているのです。つまり濃い味に慣れっこになってしまっているのです。 このような今こそ,日常の小さな出来事の中に感動を見つけるナイーブさや,他の人と気持ちが通じ合う(もちろん伝えよう,受け止めようという努力を通して)ことの幸せなどを,様々な場面で子どもたちに気付かせていくべきだと思っています。そして,そのために図工・美術という教科はうってつけなのです。 例えば,スケッチをするときにただものの形だけを描くのではなく「自分は,普段,どんなもの(道具)に助けられているか,心の支えになってもらっているか」と問いかけることで,日常の自分の生活を振り返り,改めて多くのものに助けられていることに気付かせます。すると「感謝の心」(目に見えないもの)を込めたスケッチが生まれます。 ポスターを描く課題では,私は先に交通事故で子どもを亡くしたお母さんの手記を読ませます。涙ぐむ生徒もいます。このように世の中にはどうしようもない悲劇があること。そして自分の知っているその様なことを少しでも減らしていくことを訴えることが,ポスターの一つの役割であることを伝えます。すると子どもたちは,交通事故だけでなく,環境破壊のこと,児童虐待のことなど(年金のことを描く子もいましたが),自分が本当に訴えたい内容について,誠心誠意,精一杯描こうとします。 もちろん,全員が上手に描けるわけではありません。しかし,単純に上手・下手の問題ではないのです。そこに込める「心」(目に見えないもの)こそが大切であり,本来,人として育てなければならないものなのです。 以前,授業でこんなことがありました。 風景画の課題で,どうしても函館山からの夜景が描きたいという生徒がいました。 見た目の美しさに走ってそんなふうに考えたのかと思い,私は何度か思い直すように問いかけてみましたが,どうしてもというので了承しました。作品のでき自体は,案の定,あまりパッとしなかったののですが,名札のコメント欄に書かれた解説文を見て衝撃を受けました。 描かれたその夜景は,祖父母と一緒に見に行ったときの夜景でした。その二人は,今は一緒に暮らしていない(離婚)のだそうです。そして,その絵は,二人が仲が良かった頃を思い出し,また二人が一緒になってほしい…という願いを込めて描いたというのです。 「どうして夜景なの?」と授業中に問われても,答えられる訳がない…。 心が震えるような,心が揺さぶられるような題材に出会ったとき,子どもたちの心の中には,そんな尊い「目に見えないきらめき」が渦巻きます。 そしてその経験は,今の社会状況を考えたとき,すべての子どもたちに必要なことだと,私は感じます。逆に,そのような体験を経験せずに育った子どもたちが大人になるとき,どのような社会がくるのか,考えるのが恐ろしいような気もするのです。 もちろん,図工・美術教育だけで人間形成に関わる力のすべてを育てられるなどとは思っていません。そんな不遜なことを言っているのではなく,その力を育てやすい教科だといいいたいのです。 一般的にわかりやすく,一面的,表面的な「目に見えるものの価値(勝敗や偏差値,点数,機能性や効率)」だけではなく,「目に見えないものの価値(人の思い,生命や時の流れ,日常の小さな幸せなどに感動する心)」を,もっと尊重する風潮がおこることを期待しつつ。 授業で「思い」をイメージしてもらうために,子どもたちにはこんな話をしています。「買った茶碗と,自分で作った茶碗がある。もし,一方を捨てなければならない ならばどちらを選ぶか…。たぶん,自分で作った茶碗は捨てられないだろうと思う。 なぜ? そこには思いがこもっているからだよ」と。 研究会で聞いた言葉なのですが,とてもわかりやすいと思います。 蛇足ですが,自分はこのような教科に携われたことを,幸せに感じています。 (木村伸仁・40歳・中学校美術教師・北海道)
by zoukeidaiji
| 2005-10-29 22:16
| 中学校
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