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2004年3月、日本文教出版の機関誌「形FORME」に、たいへん印象に残る記事が掲載されました。宮脇 理先生が書かれた「学校から図工・美術教育が消えたら」という文章です。
そして今、日本のこの状況下です。重なる部分、過去の失敗から学ぶ部分がたいへん大きいと思いました。 今こそ、この文章をぜひ多くの方々に読んでいただきたいと思い、宮脇先生に「形forme」からの転載についての依頼をいたしましたところ、快く了承していただきました。また日本文教出版様からの快諾も得まして、この「図画工作・美術教育の大切さを訴える」にご意見として転載させていただく事になりました。 (ブログ運営スタッフ 山崎正明) ***************************************************** 「学校から図工・美術教育が消えたら」 ミヤワキ オサム(モデレーター) ● 日常の中に隠れている非日常性 「if:もしも」は想像する世界を果てしなく広げてくれます。特に頭打ちの時代,個人的にも追い込まれたときなど,「if:もしも」という装置を使うことによって,日常の難問からの脱出,非日常への夢みる場と機会を広げてくれます。 しかし「if:もしも」は生産的な方向ばかりではありません。考えたくもない悲観的な事だって「ある日突然に……」起こることもあるのです。 例えば「図工・美術の教育が学校から消えてしまう……」などは,考えたくもない「if:もしも」ですが,それが「起こった」とすれば,これは偶然ではない歴史の必然です。日常の中に隠れていた非日常の営みは,実は絡み合って存在しているのであって,「ある日突然に……」と映るだけなのです。そういう意味では《もしも図工・美術の教育が学校から消えてしまったなら……》は,歴史には「if:もしも」がないのであり,したがって何らかの遠因を見つけ出さねばなりません。 いま,設定されている教科の存在が消えてしまうなんて考えられない……と思うのは,国民・国家の成立時に,国家のためにという目的で考えられた教科の実像に頼り切っていた,あるいは認識の更新が欠如していたのかもしれません。つまり,近代日本の教育史に位置づけられている学校(教科)の存在理由が,あまりにも大きかったからでしょう。ですから学校に位置づけられてきた図工科,美術科がまさか消え去ることなどあるはずがないと思うのも当然です。 ● 芸術教育不要論がニューヨーク市に起こる しかし,日本の裏側のニューヨーク市,あの芸術の街といわれるニューヨーク市が《芸術教育不要論》を現実のものとしてしまったのが1970年代後半のことです。 一方の日本はちょうど昭和52年(1977)の頃ですから,教育制度は「調和と統一」から「精選集約」へと移行する段階でした。日本のこの「精選と集約」への流れと,ニューヨーク市が敢行した「芸術教育カリキュラム全廃」との両者の差異を皆さんどう見ますか?。分析しますか?。「芸術教育不要論から全廃」は極めてドラスティックな現象です。その理由は後ほど述べますが,前述の日本の傾向も,ニューヨーク市の現象に同じように連鎖しているとは思いませんか?。何といってもアメリカ合衆国の傘の下にあるのがこの国,日本なのですから……。 ● 他山(たざん)の石 この辺でアメリカ合衆国の現象をいわゆる「他山の石」と見るかどうかで,これからの日本の芸術教育のありようも変わってくるはずです。 「他山の石」をくだいて言えば《他人のふりみて,我がふり直せ》の比喩に近く,宮本武蔵を描いた吉川英治の隠喩に従えば,《われ以外皆わが師》ということになります。「芸術教育不要論から全廃」への事実から私たちは何を学ぶことができたのか?。 当時の『サタデーレビュー』誌(Saturday Review 1977)の特集タイトル惹句に,それは「納税者の反乱」として端的に示されています。 このアメリカ合衆国・ニューヨーク市が施行した《芸術教育不要論》は,大衆民主主義の反応がダイレクトに教育,とりわけ学校教育の中の芸術教育を直撃したのです。周知のことですが日本に比べアメリカ合衆国の民主主義への理解,大衆への波及は日本の及ばない歴史を持っているのは事実です。その大衆民主主義の「ありよう」が「芸術教育不要論」を顕在させたのですから皮肉なことです。 日本の場合,大衆が民主主義の洗礼を受けたのは,たかだか半世紀前の敗戦後のことですから,「調和と統一」から「精選集約」へのじり貧動向こそは,これまた皮肉なことに日本の未熟な大衆民主主義のお陰だということもできます。 そして,後ほど述べますが両国に共通するのが,芸術についての大衆の思い込みと認識に多くの共通点が見られることです。まずは日本の学校から図工・美術の教育が消えたらを想定する前に,ニューヨーク市における芸術教育不要論のいきさつに目を移してみます。 ● 納税者の反乱 結論から言いますと,財政,つまり「お金」が逼迫すれば不要,緊急ではない「教科」を切り捨てようという発想です。 金:カネがないから切り捨てる……つまり「芸術」を飾りものという考えですが,これが,大衆,世間の一人ひとりの公約数的考えから生まれた「納税者の反乱」なのです。ありていにいえば,知性と感情は別立てであるという二元的理解が染み渡った教育の「歴史」を改めて実証したようなものです。 「どうなる図工・美術の教育」から「どうする図工・美術の教育」への啓発への道は,ここをフォーカスしなければラストへの道は霧散してしまうというのが,筆者(宮脇)の考えです。 この「納税者の反乱」を俎上にのせたのが『サタデーレビュー』誌(Saturday Review 1977)でした。執筆者はロジャー・M.ウィリアムズ(Roger M. Williams)さん(この紹介は後にアメリカ大使館発行の交流局広報誌に紹介されています)。 ……世間,太宰治の言う一人ひとりの集まりである世間は,何を根拠にして芸術教育不要論へと迫ったのでしょうか。ウィリアムズさんが敷衍(ふえん)したこの事態,「納税者の反乱」に焦点を当てます。 ● ニューヨーク市から始まった芸術教育不要論 1970年代後半にニューヨーク市から起こった「芸術教育不要論」は,あたかも燎原の火のように,アメリカ合衆国のあらゆる州へと拡がります。それにしても瞬く間にこの事態が全米に拡がるとは…。 前号では「芸術教育不要論」を納税者の反乱として述べました。そして国家財政の逼迫がその理由であると書きましたが,前出のロジャー・M.ウィリアムズ(Roger M. Williams)さんは,連動要因のいくつかを挙げています。 一つは70年代の合衆国を襲った不況,その最大の理由をベトナム戦争(1961.1.1〜1975.4.30)による出費。つまり米国が自由主義諸国をアメリカ合衆国の傘下に置くための防衛国家予算に「金」を掛けなければならないという論理。 二つ目としてケネディ大統領の暗殺(1963.11.22),同じくキング牧師の暗殺(1968.4.4)も教育予算削減の遠因であると…。ついで,いささか短絡気味の連動なのですが,いわゆる芸術家の行動が,たとえば服装や言動が世間の常識と考えられる規範,「常識枠」からはみ出ていることを理由とし,それが伝統の破壊,宗教の忌避内容にまで発展,増幅し,「常識」の埒(らち)を超えたことが反発を生んだとしています。 ● 常識という「壁」の厚さ,怖さ いやはや,世間の「常識」がいかに固く,固陋なものであるかということにぶつかるわけです。自然科学のように客観的事実がほとんどを占める領域とは異なり,つまるところ,芸術は表現世界であり,自分の感じていることと,他者がどう感じているかということとの差異関係を冷静に判断し,その関係性を持つことが難しいのでしょう。ここに至って,芸術家の言動がなんとも気になる世間一般の公約数的な常識には,かなりの温度差があることを知らされます。ですから知らないことは則ち嫌い…という差別,嫌悪感から連鎖することで,芸術から芸術教育の流れが財政,つまり「お金」が不足すれば切り捨てるという論理,そして結論へと繋がるのだと思われます。 「納税者の反乱」の底に流れる芸術への理解が飾り物あるいは教養主義,さらに過激な前衛世界としてみられれば,そしてそのことが大衆の公約数的量を占めれば,現状の民主主義社会の多数決への道は明白です。デモクラシー,なかんずく大衆デモクラシーの難問を視る想いです。 ● 芸術教科が学校から消えた…そして学校は灰色になった 現実に存在したものが無くなったときに,人ははじめてその変化の重大さ,その意味を知るということは,よくあることです。 永年の間,学校という場に組み込まれていた芸術教科が消えるということは,足し算,引き算の感覚では推し量れないことが,ニューヨーク・イーストハーレム地区公立第108小学校ジョン・ブリル先生の発言にみられます。 すなわち「…図工や音楽の授業がなくなり〈学校は灰色〉,絵によって他国のことを学ぶことが出来なくなった(後略)」。〈学校が灰色になった〉のです。 このあといくつもの報告がなされるのですが,〈学校が灰色〉は,学校という組織が有機体であることを証しています。ここに,芸術教科の削減が有機的仕組みである学校組織を枯らしてしまったことを語っています。 ● Coming to Our Senses運動が起こる それにしても,さすがアメリカ合衆国です。こうした政府による行政デザインの論理に対しての「反論」とそれに伴う連鎖のかずかずが起きます。 ふと筆者は同時期1977年(昭和52年)の日本の教育課程のありようが眼に浮かんで重なります。当時,日本の学校教育制度が謳った「調和と統一」のカリキュラム,すなわち1968年(昭和43)小学校,1969年(昭和44年)中学校,1970年(昭和45年)高等学校のナショナルカリキュラムがそれでした。斯界へ引き寄せれば,小・中学校のそれぞれが絵画・彫塑・デザイン・工作(工芸),そして鑑賞の五領域が横並びになり,加えて高等学校普通科芸術の教科は,芸術必修(三単位を下らない),科目選択というありようでした。つまり教育課程というパイの配分は,いずれの教科にとっても何とか落ちついた時間帯であったといえます。その安定感は,まさに「調和と統一」というカリキュラムの謳い文句に象徴されていました。それが前述の1977年になると「精選・集約」への変貌です。「調和」から「精選」,いま流にいえばナショナルカリキュラムのリストラ(現象)が始まったのです。その後の延長が現在です。 アメリカ合衆国と日本国の対比を視て,どちらの成り行き,そして現象が図工・美術の学校教育にとって怖いでしょうか。 紙数が少なくなったのでアメリカ合衆国の「反撃と連鎖」については割愛し,時期をみて再登場させますが,わずかの字数で述べますと,アメリカ合衆国の知識人集団が芸術教育不要論に対して起こした〈Coming to Our Senses運動〉とその後の展開は,いかにもデモクラシーの本家らしい経緯を,そこに視ることができます。焦点化すれば,古典的,普遍的芸術と芸術教育の価値論,そしてこれを引き継ぐようにして展開された学問に依拠した美術・図工教育。周知のようにDBAE理論がそれでした。無論これには美術教育カリキュラム改革を目的として設立された,ゲティ芸術教育センターの活動が根底にあったのですが,複眼的に視れば,1960年代にケタリング財団の援助によって進められてきた,スタンフォード・ケタリング・プロジェクトなる教育改革が先行し,雁行していたことに,眼を向ける必要がありましょう。 ● 図工・美術教育のリストラ現象をどう旋回させるのか アメリカ合衆国の劇的な「芸術教育不要論」のアーカイヴ(archive),そしてアーカイヴス(archives)こそ,この国,日本には起こりませんでした。 しかし現実のありよう,すなわち「調和と統一」から「精選・集約」というカリキュラムも,見方を変えればリストラ現象です。それこそ図工・美術教育の危機であり,「if:もしも」は隠れていたに過ぎないと視るべきでしょう。しかし未熟なデモクラシー国家と世間が,アメリカ並のマスデモクラシーに差し掛かった現在,「図工・美術教育が学校からから消えたら…」という「if:もしも」が起こり得るかもしれません。 「他山の石」に眼を移すことで,私たちは,アメリカ合衆国とは異なる次元で「if:もしも」の危機からの旋回,反転に想いを巡らす気概を準備したいと思います。 宮脇 理 元 筑波大学教授。博士(芸術学) ◎現在:中華人民共和国・華東師範大学顧問教授(上海),同・厦門(アモイ)大学客座教授。 ***************************************************** 2004年3月日本文教出版・機関誌「形FORME」No.272および273より転載。 《関連サイト》 ☆宮脇 理 Web AE(芸術と教育)「映画の中の子ども・学校・教員」 →「大衆民主主義とイノセント」/子どもへの眼差し」 by zoukeidaiji | 2005-11-01 00:16 | 大学
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